同類(トモ)と集う。
見えない糸で繋がる緊張感と連帯感。
ソロでは知り得なかった。
オートバイで結ばれる「絆」がある。
マスツーリングに出掛ける朝は往々にして寝不足だったりする。ソロならともかく、マスは道中でのマシントラブルが共に走る仲間達全員に迷惑を掛けかねない…。本来なら数日前までに余裕をもって準備を整えておくべきなのに腰の重い自分は、いつも前日に焦って準備を始めたりする。その時はじめて足りないモノや不具合に気づき、結局夜遅くまで作業が続く。やっと準備が終わったとしても、ベッドに入ってから数時間、まるで遠足前の小学生のようにワクワクと寝付けなかったりして…。
そして迎えた当日の朝、いつも通り時間ギリギリ、予想よりタイミングの悪い幹線道路の信号に舌打ちしつつ、何とか時間に間に合いそうと思えた時から、今日のツーリングで起こりそうな「楽しい出来事」と「笑い話になるレベルのアクシデント」などを想像し、ニヤつくのだ。ある意味、この瞬間こそが至福の時なのかもしれない。
待ち合わせ場所のコンビニでは、いつも通りにタバコをくわえて余裕をかました先輩がいて(僕らにとってはこれが当たり前のパターンになっていて、自分にとってはこのシチュエーションが安心感だったりする)、缶コーヒーを飲みながら天気予報やルートについて話しているうちに続々と本日のメンバーが集い、いよいよマスツーの始まりとなる。
走り始めたバイクの群れは、互いの距離感やペースを確かめながら左右交互に並び、千鳥走行のフォーメーションとなる。ウキウキする気持ちを少し抑えて冷静にならないと、車間距離が詰まり過ぎたり、脇から出てくるクルマに驚かされたり…世間一般でよく言われる「事故は走り始めに起こりやすい」という格言も、最近は素直に頷ける気がしている。
最後尾を走ることが多い自分は、昼間でもヘッドライトを点灯して先頭を走る先輩に無事を伝えるように心掛けたり、直前を走る仲間のコンディション(人馬ともに健康かどうか?)を感じ取ったりしながら、徐々にウォーミングアップ。そして、周囲の景色やマシンのフィーリングなどに神経が届き始めた頃には全体が心地よいリズムで流れていて、ここで二度目の至福の時を迎える。
乗りたての頃は、計画したルートを走って時間通りに目的地へ到着することを重視していた気がするが、最近は休憩の時に話が盛り上がってダラダラと過ごすことも楽しめるようになった。いつの間
にか撮影担当を務めるようになった自分は、デジカメのシャッターを切りまくる。パソコンにストックしてある写真が貯まると、スライドショーとBGMでシンプルなDVDを作り、頼まれもしないのに配っったりもしている(これがなかなか好評なのだ)。
こうした年に数回のマスツーリングには、自分にとって幾つかの意味がある。ひとつはバイクの楽しさを仲間と共有すること。もうひとつは他人の走りを間近に見ることで、色んな刺激や気づきを得られること。「楽しい気持ち」は共鳴することで増幅するし、見たこともない走りはイメージさえもできないから、先輩達のキレイな走りから自分の伸びしろが見えてくる…そんな向上心に嬉しくなるのだ。
そして最も心地イイのは、先頭から最後尾までが一つのリズムで調和する一体感。それぞれが仲間を気遣い、信頼し合いながらも自分の役目を果たすチームプレーみたいな走りが楽しくて仕方ない。これはまさにマスツーリングならではの愉しみだと思う。
オートバイは楽しい。そしてオートバイで結ばれた人間が楽しい。たくさんの「仲間」と出会うことで、さらに広がるオートバイの愉しみ…楽しみ。
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