暖冬だ、早い桜だと言われつつ、結局いつもどおりの雪溶けだったけど、もう走り出しているだろうか? 先ずはやんわりとね。寝起きで全開はヒトだってツライでしょう?
冬の間にエンジンのオーバーホールや車体のリフレッシュなんかをしていると「アレー?!」ってことがよくある。「ここもイッてる!」とか「もうギリギリじゃん!」みたいなこと。バラす前にはオーナーとある程度の話をし、見積もりをする。もちろん充分なテストランやオーナーの詳しい話を聞けば、かなり正確な予想はできるのだが、いつも乗っている愛機でもなく、オーナーもプロではないのだから、予想がハズレることもままある。見積もりがハズレることは、やはり良しとはしない。オートバイと会話ができればいいのに…と思うことしきりである。
「3番シリンダの圧縮低いのはね〜ピストンやリングじゃなくてバルブだよ。ガイドも緩いし、クリアランスとってもダメだよ〜。カムチェーンも延びてるから換えてね〜。ドライブシャフトのベアリングもそろそろダメかも。クラッチのダンパーのバネももう均一じゃないし、クランクベアリングの受けのピン横もね〜実はクラック入ってるんだぁ…」とか言ってくれれば、エンジンオーバーホールなんかイッパツで完璧に終わっちゃう。もちろん全部新品にすればいいけど、それじゃオーバーホールの意味ないしね。
昔、自分がまだバカな学生だったころ、卒論で牛と会話することを試みたことがある。もちろん牛に人間語を理解させたり、牛語を会得したわけではない。満足しているのか、何が不満なのか、どうして欲しいのか、を行動調査をしながら尋ねるのだ。長い間一緒にいて注意深くつき合っていると、何となく解る(気がする)ことが増えてくる。例えばそれが動物でなくて草花であっても、生きる意志があるモノであれば、精一杯『会話』を試みれば、何か伝わるのかもしれない。クラシック音楽を聞かせると花は元気になり、実は甘くなったりとか(自分としてはロックやブルース好きだっているだろ?…と思うが)。じゃあ、その境目はどこにあるのか? 無機物であるオートバイにはあり得ないとか?
結局「解ろう」とする気持ちの問題であって、相手が会話できるできないとか、生きてる生きてないは関係ないと思ってる。牛はヒトを理解しないし、草花もヒトなんかどうでもいいのだけど、こちら側が、ヒト側が精一杯の気持ちで解ろうとすれば、どうして欲しいかどうなのかは解ってきて『会話らしき』ものが成立する。そういう意味で無機質であるオートバイとも会話は出来ると思ってる。
で、オートバイと会話する方法は、やっぱりオートバイの意志があるとすれば「走る」ことだから、先ずは走る。ただ走っても会話は成立しないから、感じよう、知ろうというこちら側からの「語りかけ」が不可欠だろう。「何かが変わった」とか「変な音がする」とか「匂い」とか、五感をフルに使って感じる。
その次に「どう変わったのか」を考える。何かを変えたなら、それでどう変わったか、オートバイがそれで楽しそうになったのか、辛そうになったのかを感じ、辛そうなら元に戻してやる。それって会話(コミュニケーション)だよね。
エンジンをかけただけで、「チャンバーの中に小さな石が一個入ってる!」と言ったメカがいたらしいけど、そこまでいかなくても、例えばガレージの中から外までバイクを押しただけで結構いろんなことが解ります。タイヤの空気圧、ステアベアリングやステダンの状態、ブレーキキャリパーの状態、チェーンの状態...etc。自らの愛機であれば、「会話」のボキャブラリーはより増えるハズ。
精一杯の会話をして下さい。そのうち感じるであろう「オートバイとの一体感」とか、「ここ一番での理屈越えたところの不思議なパワー」は、貴方とオートバイに"B会話"が成立した証なんだと思います。
自分もオートバイのメカとして、B会話の習得に日々努力していきたいと思う…。
それぢゃ、また。