峠では雪の便りも届きはじめ、オートバイシーズンも、もうすぐ終わり。皆、無事に走り切れただろうか? いつものように「走り足りねー!」と思っているだろうか?
どれだけ走っても、オートバイは楽しくて、結局、冬の始まりには、やっぱりもっと走りたかったと思うんだよね。『ヒトの造り』として、「オートバイ乗り」なんだと思う。経験としてのオートバイとの出会いがあり、走りを繰り返すうちに楽しくなり、それがいまだに続いている…といった『趣味』とは、ちょっと違うような気がしてきた。
好きでオートバイ屋になり、日常的にオートバイに深く関わり、今でも休日にはやっぱりオートバイで走りたいと思う。だけど仕事は、好きなだけでは全然ダメで、責任とプレッシャーと向上心の日々。さらに喰えりゃいいでは済まない義務めいたものも感じるようになった。以前に比べると、休日に走らなくなったのは他に楽しいことがあるからだけではないと思う。自分の時間にオートバイを走らせていると、知らずにいろいろ考えてしまうのだ。セッティングとか、ハンドリングとか剛性とか。その時またがっている自分の愛機のことではなくね。好きなだけではなく、仕事としてやってますよ、ちゃんと。きっとオートバイ屋以外の仕事をしている人と同じように。
んでこの前、内地を走ってきた。京都と富山に用事があったわけだけど、オートバイでも可だったから、迷わずドルフィンで行ったって感じで、「ツーリングだ!! オーッ!」ってワケではなかった(?)。キャリアつけて、ドカッと荷物乗せて、「行くぞ! ドルフィン!」じゃなくて「今日も頼むよ、アオや…」みたいな馬車馬感覚で連れてった感じ。で、時間がちょっとあったから遠まわりして、奥琵琶から岐阜の上に出て、高山や白川郷に寄って、富山に下り、柏崎から国道8号を外れて海岸線の3ケタ国道を走って、新潟からフェリーに乗っただけ。ただ、いつもの休日とちょっとだけ違うのは、仕事片づけて、北単の原稿書いて、フェリーに乗って、朝、日本海の上で目を覚ました時、「ケータイの圏外」の文字に気を良くして、仕事を忘れたこと。「後はまかせた!」ってね。
敦賀に降りた時は大雨降ってて、「ちぇっ、いきなりカッパかぁ」と雨のナイトラン。おまけに内陸の3ケタ国道。行きかう車もあまりない中、「前見えね〜」とつぶやきながらも、何かイヤな感じもしないし、雨では初期に効かない鋳鉄ローターも気にならなかった。まっ黒闇の杉樹立の中を走りながら、いい匂いを感じるだけ。
深夜に京都に入り、翌日からはウソみたいな夏の日。用事があればドル…ではなくて「アオ」に火を入れ、暑過ぎると思えば、ちょっとアオで渓流に涼みに行く。京都を出て、「こっちかな?」とか、「あっち行ってみよ…」、「この街で泊まってみよ」と、普通にルートが「後ろ」に出来て
いく。久々の荷物満載二人乗りのアオも、何事もなかったかのように走り、汚れていく。多少、判断と反射能力が低下した自分を感じたけれど、アオの反応は素早く、ずいぶん助けられた。高速二人乗りも経験し、そろそろ終わりの新潟の名もない海岸でアオを停めた時、そこは人気が消えて閑散とした秋の夕暮れだった。普通に寂しくなった。夕陽がキッチリと水平線に沈むのを見とどけ、「さ、行こう」と愛機に火を入れた時、ふと思ったのだ…。
オートバイ好きとか、オートバイ屋とかではなく、性格なんだ…と。オートバイ乗りという性格。無理も我慢も見栄もない。
札幌に帰り、またオートバイ好きのオートバイ屋に戻ると、いるねー「オートバイ乗りという性格」のヒト。もちろん性格なんだから、押しつけも無駄だし、それが良いことだとは言わないけど。嬉しくなる。
まァそんな性格のヒトは、冬でもオートバイ乗りだから、冒頭の「シーズンも終わり…」は関係ないか。来年のシーズンに向けて、オートバイの準備をする時期が来ました…だね。楽しくやりましょう! それじゃ、また!